明治27年から35歳で亡くなるまでの8年間、正岡子規が暮らした家が鶯谷のラブホテル街にあります。故郷の松山から母親と妹を呼び寄せ、ここで結核と闘いながら俳人としての活動を続けたそうです。庭に出ると、生い茂る草木から夏の匂いがしました。

 

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昭和20年に空襲で焼け、現在の庵はその後に復元されたものです。この机も複製だそうですが、傷や木目も復元されているとのことです。

 

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客は私以外に2人しかいなかったので、机の前に座ってゆっくり庭を眺めることができました。 

 

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ヘチマの水は痰を切る効用があるとのことで、結核に苦しんだ子規は、亡くなる前日に詠んだ最後の歌の中にヘチマを登場させています。 

 

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正岡子規といえば、司馬遼太郎が書いた「坂の上の雲」の印象が強いです。子規は陸羯南が社主の「日本新聞」の記者でもあり、日清戦争では従軍して遼東半島に行っています。記者としての当初の月給は15円。他社が数百円を提示しても転職はしない、と公言するほど日本新聞で働くことを誇りに思っていたようです。

 

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趣のある佇まいなのですが、周りにはラブホテルが。立地環境はあまり良くありません。昔は加賀藩前田家の屋敷があった屋敷町だったそうですが。

 

※Sony α6300で撮影

 

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